kashimiya_farmの日記

新卒薬剤師、異常な心労で受診したら発達障害だった。

育ち切らなかった自己肯定感と、膨れ上がった劣等感

発達障害を専門にしているカウンセラーと話をしてみた。発達障害による困りごとが20~30%、他の80~70%は不安障害のような傾向を感じるといわれた。失敗しても、迷惑かけても、人に嫌われていてもフツーに生きてる人はたくさんいる。そんな中なぜ私は楽しく生きていけいないのかずっと考えている。人より無駄に不安を感じて人生を楽しめないでいる。

 

人より不器用で時間がかかるため、試行錯誤して各ライフステージの課題を達成していた。達成したとき親は決まって「あの子はどうだったの?」と比較し、わたしはいつも優秀なあの子よりもできが良いことはなかった。そんなことより達成した私を認めてほしかった。

 

心身の健康を損ない、母に錯乱しながら訴えたら、「あんたはほんとに頑張ったよ」と言ってくれた。しかし、「なんだいまさら」という不信感と嫌悪感で気色が悪かった。

 

私も親に感謝できる人間でありたかった。虐待を受けていたわけでも、ネグレクトされていたわけでもない。両親はフツーに働いて私を中高私立、6年制私大に通わせる十分な経済力で支えてくれた。勝手に私が生きづらく育って、親に感謝できない人間になってしまっただけなんだ。生きる親不孝である。

 

薬剤師という国家資格を尊大なもとは思ってはいない。しかし、資格によって勉強を頑張ったという称号がついて自分に存在意義が生まれるのではないかと期待していた。もちろん、自己肯定感なんてものは得られず今こうなっている。

 

息をしていても良くない思考が巡るのであれば断ち切るために何度も死ぬところを想像した。なんでうっかり生き延びているのかわからないほど考えた。結局は自分から死ぬのが怖くてずっと何かに巻き込まれて死にてぇなと思っていた。

 

今までにかかったカウンセリングの費用、心療内科への受診費用を計算した。半年で約20万だった。フツーの心身の健康状態であればこの20万を消費して楽しみを得られたかもしれないと思うと自分を恨むことしかできない。

 

生きてるだけで精一杯、人生にあるフツーの幸せに目を向ける余裕がない。必死に生きて、怯えて、死ぬのを待つだけ。それだったら、期間を決めて遊びきって楽しかったおやすみといって死ぬのが一番幸せでなないのかと思ってしまう。

 

育ち切らなかった自己肯定感と、膨れ上がった劣等感、どちらかだけでもどうにかしたいけどどうにもならない。解決が先か、あきらめるのが先かのチキンレースだ。