kashimiya_farmの日記

新卒薬剤師、異常な心労で受診したら発達障害だった。

食べたくない、食べたい、太りたくない

この1年自分の体を見直して、7.8.9月、11.12.1.2.3月はご飯を食べたくない。

それ以外はお腹がすいてないのにお菓子を食べたくてイライラしている。

空腹感のない食欲が止まらなくてイライラして、食べて太ることにイライラしてどちらにしろ涙が出る。

 

しっかり睡眠を取り、仕事も減ったのに自分の時間でやることが分からなくて明日仕事行きたくないなって考えてたら休みが終わる。

 

症例で見たような躁鬱ほどでもないし、過食、拒食症でも無い、ギリギリ正常内で狂っている。食べなきゃ落ち着かないけど、太る不安で涙が出る。165cm54kg別に太ってないけど、今履いてる服のサイズが変わるのが怖い。

痩せてる方が安心する、でも吐くまで食いたい、でかい肉、スイーツ、フルーツ、コメ、菓子パン。食欲で苦しいけど満腹でも苦しい。

早く大丈夫になりたい。顔がでかくなった気がする、でも食べたい、お腹すいてないのに。

 

2日前くらいから躁のように感じる思考が巡り、頭がうるさい、体を動かさないと落ち着かない。これがあと数年後には躁鬱の差が酷くなるのかなぁ、怖

 

生存する長期的なモチベーション

私が落ち込むきっかけは大なり小なり、生きるモチベーションがないことにたどり着く。

将来を約束している人もおらず、子供にはこんな遺伝子渡す訳にはいかないし、友達も相方持ちばかり、仕事は時間と精神を消耗するだけで昇進の意欲もなく、生きるモチベかないことにたどり着く。

 

慢性的な死にたい、消えたい欲から開放されたところで生存したい理由もなかった。

何をしたいどうしたいとかない、疲れないように変化がないように過ごしたい。

これは発達障害に限らずみんな思ってることなんだから優遇されるはずもない。

地雷ワード

就活の時から決めていた、これを言われたらいかなる職場でも出てくしかないと腹を括っていた地雷ワードがある。

 

それは、誤字脱字に対する厳重注意である。

実際今の職場でも「誤字脱字が酷すぎる、再三の注意の上でも改善が見られない。今後続くことがないように真剣に取り組んでください」のようなことを言われて、辞めますって即決した。

 

誤字脱字についてはずっと言われている。小学生の時には、下書きからの書き写しが出来なくて母親に叩かれ、大学でも誤字脱字があった瞬間に提出物を突き返され、気分次第で叱責されていた。

 

発達障害を知らなかったらこんなに容赦ない。それがフツーの一般人様の世界線なんだと思い知らされた。ご不快にさせて大変申し訳ございません、治らないので死にますって生き延びてしまった。

 

もう誤字脱字の注意が来たって時点で恐怖で情報がシャットアウトされている。気をつけると言っても仕事しながら気をつけられたら苦労していない。私もやりたくてやってる訳では無い。

幼少期から誤字脱字、文字の読み取りがずば抜けて下手だったが、ここまで国語が苦手な子の程度で過ごしてしまった。

 

実家を出て医療選択の自由によって、誤字脱字の原因に医師による診断を結びつけることが出来た。医師を盾にして相手を脅しているような体制になってしまったがこうするしか正気を保てなかった。申し訳ございません。

 

 

 

そして2年が経った

たまたまお気に入りバーからクリックしてブログのことを思い出した。

新卒で働き始めてから辞めるために貯金をしながらいまのところ3年目まで働き続けでいる。

 

私が入社する前から「言われたらやめる以外ない」と決めていた地雷ワードをぶち抜かれ、辞めます宣言としたが、頭を冷やしてという事で落ち着いてしまった。

人も勤務条件も給料も全部一人暮らしには他に代わりが見つけられず転職先を考えても結局もどっててしまい、ズルズル働いている。

 

心療内科の通院は検査のみで完結し、その後は別の心療内科睡眠薬と安定剤を飲み続けている。自立支援の公費利用も申請できて経済的な負担も少なくなった。

雇用も一般雇用でかわらない。

与えられるストレスは多種多様だが、薬を飲んだら眠れることで何とか正気を保ち続けている 。精神安定の為に薬を使うと言うより薬で眠れるから精神安定出来そうってところでとどまっている。

 

最後の過剰適応だ言い聞かせ生存のために働き続けて結果都合のいい社員になっている。ブログは続かなかったが虚無に浸ることは多々あった。また少し続けられるといいなぁ。

 

 

だいぶ期間が開いた

診断を受けて、就労支援施設に相談し、市の障害者支援センターにも行き、話をした結果、私の重症度では生活に支障があるとは言えず、障害者手帳等の取得、障碍者とのしての支援は受けられる可能性が低いという結論になった。

悔しかった。つらいです助けてくださいっと言っているのに「見た感じ大丈夫じゃん」と突き放されたようだ。今までのコニュニティーだけならず福祉施設からも判定されると一生この不安感、劣等感と付き合うのかと虚無になる。こんな面倒な荷物を抱えるのなら生まれたくなかった。

 

ADHD疑惑の友達が服薬し始めて効果があったことから逆説的にADHDと診断されたらしい。服薬をはじめて世界が変わったといっておりうらやましいなと思ってしまった。

 

なおらないなら生きなおしたい。

 

 

もっと鈍感だったら楽なのに

たまに派遣される店舗に、少々癖の強い多動(ADHD)気味の困ったさんがいる。その人は、みんなにちょっと苦い顔をされても平気だし。自分が楽しい思いをした話も平気でする。ミスして、怒られて、それでも自分は幸せになってもいいんだと信じてやまないのがうらやましい。

 

私は、気が付いた時には、自分が普通に友達と遊んで楽しい思いをすることですら誰かにバレるのが怖かった。ずっと何かに「そんなことしててのいいの?」と形のない不安をあおられ、「あーあ今日の休みは楽しかった」や「今度の休みは何しようかな」と感じることが怖かった。

 

「仕事でミスばかりしているのに楽しんでいいのか(いや良くない)」という声をうち消すように必死に気をそらした。

 

学生までは努力賞でゴリ押してきた。頑張って追い詰められて不安になってもいつかは解放される。社会は違う、努力賞なんて意味ない。結果や改善が図れるように時間内で考えて、休んで、体調を整えないといけない。私は何もできていない。

 

こんなに難しく考えずに、もっと鈍感に間違えたら直す、考えるって出来たらいいのに。余計な不安で思考が混乱しなければいいのにって思っている。なんかずっと混乱してる。意味不明なことをして嫌われる。楽になりたい。

 

現実で出会う人は気が付いたら「こんな子じゃなかった」と離れていく。私じゃない何かに期待して裏切られたと被害者面で離れていく。

勝手な第一印象で、勝手に解釈違いを起こして、捨てられる。なんて勝手なやつらなんだと思っている。でも定型発達様方の自分勝手はみんなの自分勝手だから普通で、私の自分勝手は私の自分勝手でほんとに迷惑なんだ、ごめんなさい。

 

育ち切らなかった自己肯定感と、膨れ上がった劣等感

発達障害を専門にしているカウンセラーと話をしてみた。発達障害による困りごとが20~30%、他の80~70%は不安障害のような傾向を感じるといわれた。失敗しても、迷惑かけても、人に嫌われていてもフツーに生きてる人はたくさんいる。そんな中なぜ私は楽しく生きていけいないのかずっと考えている。人より無駄に不安を感じて人生を楽しめないでいる。

 

人より不器用で時間がかかるため、試行錯誤して各ライフステージの課題を達成していた。達成したとき親は決まって「あの子はどうだったの?」と比較し、わたしはいつも優秀なあの子よりもできが良いことはなかった。そんなことより達成した私を認めてほしかった。

 

心身の健康を損ない、母に錯乱しながら訴えたら、「あんたはほんとに頑張ったよ」と言ってくれた。しかし、「なんだいまさら」という不信感と嫌悪感で気色が悪かった。

 

私も親に感謝できる人間でありたかった。虐待を受けていたわけでも、ネグレクトされていたわけでもない。両親はフツーに働いて私を中高私立、6年制私大に通わせる十分な経済力で支えてくれた。勝手に私が生きづらく育って、親に感謝できない人間になってしまっただけなんだ。生きる親不孝である。

 

薬剤師という国家資格を尊大なもとは思ってはいない。しかし、資格によって勉強を頑張ったという称号がついて自分に存在意義が生まれるのではないかと期待していた。もちろん、自己肯定感なんてものは得られず今こうなっている。

 

息をしていても良くない思考が巡るのであれば断ち切るために何度も死ぬところを想像した。なんでうっかり生き延びているのかわからないほど考えた。結局は自分から死ぬのが怖くてずっと何かに巻き込まれて死にてぇなと思っていた。

 

今までにかかったカウンセリングの費用、心療内科への受診費用を計算した。半年で約20万だった。フツーの心身の健康状態であればこの20万を消費して楽しみを得られたかもしれないと思うと自分を恨むことしかできない。

 

生きてるだけで精一杯、人生にあるフツーの幸せに目を向ける余裕がない。必死に生きて、怯えて、死ぬのを待つだけ。それだったら、期間を決めて遊びきって楽しかったおやすみといって死ぬのが一番幸せでなないのかと思ってしまう。

 

育ち切らなかった自己肯定感と、膨れ上がった劣等感、どちらかだけでもどうにかしたいけどどうにもならない。解決が先か、あきらめるのが先かのチキンレースだ。